MAJORA CANAMUS.

ヘンデル「メサイア」への想いを、台本と楽譜をもとに語ります

牧歌第4歌

 メサイアが1743年にロンドンにて最初に演奏された際に、聴衆の手元にあった歌詞冊子(ワードブック)の表紙に書かれていたウェルギリウス『牧歌』第4歌は、紀元前40年頃に創作されたと思われるもので、キリストの出現を予言した歌とみなされた、牧歌としては特異な作品だそうである1)。

 ジェネンズがこの牧歌の冒頭の句を、ワードブックの表紙にあえて記載した意図は、ワードブックに続けて書かれた聖句(テモテへの第一の手紙第3章16節、コロサイ人への手紙第2章3節)に表れていると思われる。ジェネンズがメサイアのために選択した聖句は、牧歌に続けて書かれたこの聖句を具体的に示したものと言える。

 次は第1部の聖句について考えてみたい。

1) ウェルギリウス「牧歌/農耕詩」(小川正廣訳、2004年、京都大学学術出版会)

"MAJORA CANAMUS"

「いざ我ら大いなる事を歌わん!」


 Georg Friedrich Handel(Georg Friedrich Händel、以下ヘンデルと略記)が作曲したオラトリオ「MESSIAH」(以下メサイアと記載)がダブリンでの初演後、1743年にロンドンにて最初に演奏された際の歌詞冊子(ワードブック)の表紙に書かれていたウェルギリウス『牧歌』第4歌からの引用である。
 メサイアの台本は、資産家で教養高く、芸術への多大な支援者であったCharles Jennens(以下ジェネンズと記載)が聖句をもとに編纂したもので、その台本構成の根底には当時の宗教的、政治的意図を秘めているとの推測もある。この台本を読んだヘンデルは直ちに作曲に取り掛かり、ジェネンズの入念な聖句の精査に比べ、およそ3週間で作曲を完成させたという。オペラの作曲、演奏そして興行ではなく、オラトリオへの活路を見い出したいというヘンデルの意欲が生んだ代表的作品である。
 メサイアの演奏機会が学生としては乏しかった時代に高校生を指導し、オケやソリストを準備し、メサイアを指揮、演奏した顧問から教えを受けた数々の経験を思い出すたびに、これまでの人生で数少ない貴重な時であったことを思わずにはいられない。顧問の、台本である聖句に想いを馳せ、聖句の意味するところを音楽で厳しく表現しようとした指導を改めて今に残し、聖句の理解の上にもう一度、メサイアを再考して記しておきたいと強く心に留めたのがこのブログである。

「いざ我ら大いなる事を歌わん!」

 開演前、ワードブックに目を通した聴衆は、台本の意図をどう理解したのか、"大いなる事"とは一体何を表現しようとしたのか、個人的な見解としてどういう演奏が心に染み込んでいくか等々。
 一曲ごとに考察したことをここに残しておく。