MAJORA CANAMUS.

ヘンデル「メサイア」への想いを、台本と楽譜をもとに語ります

No.4 Chorus "And the glory of the Load" (4)

 合唱 主の栄光が  (イザヤ 40:5)

 

 さて、74小節目から117小節目は、第1パートと第2パートの統合で展開される。すなわち、①"And the glory, the glory of the Lord"と②"shall be revealed"を全パートで歌った後、アルトとテノールが先導して③"and all flesh shall see it together"を歌い、ソプラノが④" for the mouth of the Lord hath spoken it."を力強く宣言する。そして、ソプラノが106小節目から①"And the glory, the glory of the Lord"と高らかに歌い上げる部分は、この合唱のクライマックスであり、ソプラノの余裕のある、そして伸びやかな歌声が要求される箇所である。

 続く118小節目から134小節目までは、第2パートが繰り返され、Generalpauseの後、最後に"hath spoken it."と全声部の力強い和音で締め括られる。

 この最初の合唱曲が最後の"it"の"t"まできっちりと揃って終わり、神の栄光の賛美を歌い上げることが、オケと合唱の最初の使命である。

 バプテスマのヨハネが荒野に現れ、主の道が整うという神の栄光が顕れ、メシアの誕生に対する期待が次第に高まってくるが、民への厳しい試練と不安・恐れが次から広がり始める。

No.4 Chorus "And the glory of the Load" (3)

合唱 主の栄光が  (イザヤ 40:5)

  続く43小節から73小節までのパートは、"and all flesh shall see it together, for the mouth of the Lord hath spoken it."である。

  特徴は、ここでもアルトから始まる "and all flesh shall see it together"を、flesh、see、togetherを強調するように刻む音形と、テノールとバスが" for the mouth of the Lord hath spoken it."と音程変化のない、まるでグレゴリオ聖歌のように威厳高く表現する音形が代わる代わる重層する点である。

 mouth、Load、spokenと 主の口が語られたこと、flesh、see、togetherと全ての者がともに主の栄光を共に仰ぎ見ることが折り重なるように各声部から響く素晴らしさが表現されているパートである。

 

 

 主の栄光を体現するのだという喜びと、神の威厳を同時に表現したかったという強い意志が楽譜に表現されていると感じる。

No.4 Chorus "And the glory of the Load" (2)

合唱 主の栄光が  (イザヤ 40:5)

 アルトが主題を歌い始めた後、すぐにバスが主題を引き継ぎつつ、STBが力強く"and the glory, the glory of the Load" と声を合わせる。続く"shall be revealed" は、テノール、バス、ソプラノの順にメリスマで表現され、アルトは"revealed" をメリスマではなく心からの喜びを伝えるようにゆったりと歌い込める(29-32小節)のが非常に印象的である。このアルトの部分を朗々と表現するのか、または他の声部に隠れたように静かに表現するのかは指揮者の意向によるのだろう。個人的には心のままに膨らませるように歌われている演奏を好む。

 そして、33小節目から4声が揃えて"and the glory, the glory of the Load"と歌いあげて主の栄光が顕れることを喜び、次のパートである"and all flesh shall see it together, for the mouth of the Lord hath spoken it."(43小節以降)に続く。

No.4 Chorus "And the glory of the Load" (1)

合唱 主の栄光が(イザヤ 40:5)

 初めての合唱となる。第2曲から続いたイザヤ書40章は、この合唱にて神の栄光がもたらされる喜びに満たされる。

 序奏1小節目から8小節目は、これから展開される主題である①"And the glory, the glory of the Lord"と、②"shall be revealed"を端的に示し、③の音形は、28小節目~33小節目のアルトで初めて出現する主の栄光=主の重み、主の重要性が「顕れる」の聖句"shall be revealed"を心の底から満たさせるように表現する音形を予告している。

 

No.4-1

 その後、2小節分のヘミオラを経て、アルトが主題を高らかに歌い始める。すなわち、"and the glory, the glory of the Load" の歌詞に対して、強迫にgloryをあてがい、後半の"glory of the Load" を上行する音形で表現する。そして、歌い始めがアルトであることが非常に象徴的である(メサイアではアルトが重要な役目を果たすことがままある)。

No4.-2




 

No.3 Air "Ev'ry Valley shall be exalted"

谷はすべて身を起こし(イザヤ40:4)

 第3曲は聖句を具象的に表現した楽曲である。序奏は、「諸々の谷」(楽譜の赤色部)と「山を低くする」(同青色部)に当てがわれた音型を組み合わせている。テンポは第2曲よりも速く演奏され、力強い意思を感じさせる序奏である。

 主の道をどのように用意するのか。「諸々の谷は高く、諸々の山と丘は低く! 凹凸のある場所は真直ぐに、険しい土地は平らかに」*と用意されると預言される。

 曲中6回表れる谷はBassiが、谷を高くする様子はtenorのcoloraturaと、tenorを鼓舞するかのように2音の繰り返しで弦楽器が奏でる。

 

 山と丘はtenorが「low」と低く表現する。屈曲したところはtenorとBassiが音型で表現し、2部音符が真直ぐとなることを示す。そして平らとなる土地は2分音符や全音符が表現する。

 この極めて具象的な音型を聴くにつれ、主の道が整備されることのみならず、聴衆の心には別の意味が湧き出てくるのではないだろうか。辛く苦しむ人々は身を起こし、きちんとした状態でないものは修正され、騒がしき世界は率直で質素な状態に正される。人々に反省と更生を求め、その先にメシアの到来があるのだと。

 後奏で序奏と同じ音型が表れ、聖句の意味を聴衆に再確認させているのだ。

 

*ルース・スミス著, 赤井勝哉訳,「チャールズ・ジェネンズ メサイア台本作家の知られざる功績」,2005年,聖公会出版

 

イザヤ書のこと

 メサイアの第1部・第1場の歌詞は預言書のイザヤ書から選ばれている。アブラハムの契約、シナイの契約でのイスラエルの民の特権と責務、そしてその民の背信に対する裁きである捕囚、そして捕囚の民に対する慰めのメッセージと帰還。

 これらは、イザヤ書の預言は成就されたのだということを聴き手に再認識させると同時に、イザヤ書の中にキリストを想起させることも意識しての歌詞の選択であろう。すなわち、イザヤ書40.3の「主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ」という聖句は、マタイ3.3の荒野から出現し、主の到来、イエスの降臨を告げる洗礼者のヨハネを見ることができる。

 ジェネンズは、旧約聖書の預言は確実に成就したことを示したかったのであるし、信仰の根源をもう一度、明言したかったのかも知れない。

 ジェネンズの選択した聖句を第3曲で、ヘンデルは音楽で非常に具象的に表現した。

No.2 Accompagnato

  慰めよ、わたしの民を慰めよと(イザヤ40:1-3)

 第1部第1場は、預言者イザヤの書40章1~5節が歌詞として選択されている。この第2曲目はテノールが当てられている。ソプラノで歌われたこともあるようだが、ソプラノは第4場の天使の場面まで温存され、慰め、確信、約束を持って毅然と抒情的に歌うよう、テノールに任されたのだ。

 序曲のホ短調を打ち消すように、慰め、赦しを想起させる第1ヴァイオリンがホ長調で始まり、捕囚となった神の民に対する預言者の慰めの言葉が4回繰り返される(4~11小節)。

No.2_1-4

 そして、その慰めは神が言われた言葉であることを断定的に2回繰り返される(12~13小節)。

    

No.2_12-13

 続けて、捕囚となった服役の期間は終わりを告げ(19~23小節)、その咎は許されたことを2回繰り返して、民の不安を打ち消すのである(23~27小節)。咎を表現する増4度が心をえぐるようであり(24小節)、続く咎が許されたことの安堵の表現を一層助長している。

 

No,02 23-27

 この楽曲では、捕囚の民の罪が赦されたことのみを想像するであろうか。自分自身の罪が赦されることを想起させるような聖句の選択ではないだろうか。続くレチタティーヴォ(30小節~)は、捕囚されたバビロニアからイスラエルに向けての真直ぐな大路が通されることを強く、一気に、聖句の繰り返しなしに歌われる。これは、荒野に出現し、主の到来を告げる洗礼者ヨハネを想起させる。

 この楽曲を聴いた聴衆は、イエスの降誕も想起したに違いない。最後に"for our God”と断定するようにテノールが歌う。

 前半の伸びやかで沁みるテノールと、後半のレチタティーヴォの力強いテノールの対比を聴きたい。そしてattacaで第3曲に続く。