MAJORA CANAMUS.

ヘンデル「メサイア」への想いを、台本と楽譜をもとに語ります

No.2 Accompagnato

  慰めよ、わたしの民を慰めよと(イザヤ40:1-3)

 第1部第1場は、預言者イザヤの書40章1~5節が歌詞として選択されている。この第2曲目はテノールが当てられている。ソプラノで歌われたこともあるようだが、ソプラノは第4場の天使の場面まで温存され、慰め、確信、約束を持って毅然と抒情的に歌うよう、テノールに任されたのだ。

 序曲のホ短調を打ち消すように、慰め、赦しを想起させる第1ヴァイオリンがホ長調で始まり、捕囚となった神の民に対する預言者の慰めの言葉が4回繰り返される(4~11小節)。

No.2_1-4

 そして、その慰めは神が言われた言葉であることを断定的に2回繰り返される(12~13小節)。

    

No.2_12-13

 続けて、捕囚となった服役の期間は終わりを告げ(19~23小節)、その咎は許されたことを2回繰り返して、民の不安を打ち消すのである(23~27小節)。咎を表現する増4度が心をえぐるようであり(24小節)、続く咎が許されたことの安堵の表現を一層助長している。

 

No,02 23-27

 この楽曲では、捕囚の民の罪が赦されたことのみを想像するであろうか。自分自身の罪が赦されることを想起させるような聖句の選択ではないだろうか。続くレチタティーヴォ(30小節~)は、捕囚されたバビロニアからイスラエルに向けての真直ぐな大路が通されることを強く、一気に、聖句の繰り返しなしに歌われる。これは、荒野に出現し、主の到来を告げる洗礼者ヨハネを想起させる。

 この楽曲を聴いた聴衆は、イエスの降誕も想起したに違いない。最後に"for our God”と断定するようにテノールが歌う。

 前半の伸びやかで沁みるテノールと、後半のレチタティーヴォの力強いテノールの対比を聴きたい。そしてattacaで第3曲に続く。